Home>ブログ
Archives

思い→想い→念い。

はて、なんのことやら...。

 

 

私の母親の兄は今から約半世紀前に移民としてブラジルに渡りました。

小さい頃にブラジルから色々と送られてきて、ブラジルのコーヒーを飲んだこと覚えがあります。

子供心にマズかった。(ごめんなさい)

小学校の高学年でサッカーを始め、中学一年生となりサッカー部に入部しました。

六月にたまたま家に早く帰る機会があり、NHKでサッカーのワールドカップを放送していました。


1982年のスペイン大会です。元サッカー日本代表監督のジーコが現役で最盛期だったかな。

その当時のブラジル代表は強くて美しいサッカーで今でも語り草になるチームで、私もテレビを見ながら強烈な印象を受け、それ以来ブラジルサッカーの虜になりました。

その年のクリスマス。学校から家に帰ると箱があり、なんと中身はブラジル製のサッカーシューズでした。

ブラジルの叔父さんからのプレゼントでした。今と違って当時は海外製のサッカーシューズなど珍しく、とても嬉しかったのを覚えています。

それからというものブラジルサッカーに関する本を買って読み漁り、カズとヤスの三浦兄弟のブラジル留学本を読んでは「ブラジルとはどんなところ?いつかブラジルに行ってみたい!」と考えていた覚えがあります。

母親から行ってもいいと言われたことがありますが、まだ中学生だっただけに怖くて行けず...。

 

 

それから25年後...。

 

 

思い→想い→念い。

強くなれば強くなるほどに、まるでそれが運命のように手繰り寄せるんでしょうね。

長年の夢だったブラジルへ行く機会が訪れました。

静岡の日系ブラジル人の方の紹介でSEパルメイラス(ブラジルサッカー界ではビッグクラブ)のフットサル部門に一週間ほど滞在させてもらえることに。

小学六年生の息子と二人で26時間かけて地球の裏側へ行きました。

ブラジルでは叔父さんや従妹と再会したり、南米クラブNO.1を決める大会を観戦したり(色々な方の計らいでVIP待遇!)、練習や試合に帯同させてもらったりと中学一年生以来の夢が叶いました。

ある日は、監督から「折角サッカーの勉強に来たんだから、見学ばかりでなく体感してみろ(と言われたらしい)」と言うことで短い時間でしたが紅白戦に出場させてもらいました。

彼らは生活がかかっています。日本の、それも38歳のオジさんなんか邪魔くさくて仕方なかったんでしょうね。

パスなどくれず、ましてやボールなど一度も触ることなく終了~。

「これが空気の様な存在なんだ!」とはるばる地球の裏側まできて実感させてもらえました。

しかし、練習などでは全体練習終了後に監督が独自にレクチャーをしてくれたり、ケガ明けの選手と一緒に軽く体感させてもらったりしました。

練習中はブラジル人は私には厳しかったのですが、うちの息子に対しては”と・に・か・く”優しいの一言でした。

背も低かったので12歳よりもっと幼く見えたんでしょうね。

ガチの練習でしたが、息子が一緒にしたいと言えば混ぜてくれ(さすがに紅白戦はダメでしたが)、選手も誰一人文句を言いません。

なんなら一緒に手取足取り教えてくれました。

ブラジルは女性、子供、年配に優しい国らしく、機中・空港・レストラン・ショッピングセンターなどなど、確かにどこに行っても子供には優しかったように思います。

帰国してから気付いたのですが、その年(2008年)は日本人が初めてブラジルに移住してから100周年の記念年だったようです。

その年に小さいころからの夢だったブラジルへの渡航が叶ったのも何かの縁だったんでしょうね。

 

【思い→想い→念い。】

思いを強く持つ事。

強さの分だけ実現を手繰り寄せられる。

手元に来て、チャンスだと思ったら一気に自分の方へ引っ張る。

一度きりの人生、悔いなく生きよう。

 

今日もご縁に感謝。

ありがとう。

飛騨高山&小ネタ

先週末は、日本YEG東海ブロック大会飛騨高山大会に参加するべく、岐阜県は高山市へ行ってまいりました。高山市へは今年の二月にも日本YEG全国大会で行ったので二回目ですが、とにかく遠かった...。

   
でも、安定のおもてなし感と美味しい料理に行く価値は十分にありました。

 

行きに新穂高ロープウェイに乗ったのですが、第一ロープウェイと第二ロープウェイの中間駅は御覧の通りいい天気でしたが、第二ロープウェイの終点駅では、なんと吹雪でした。

夜は高山YEGの方のエスコートで美味しい美味しい飛騨牛を食べました。

高山は本当にいいところ。近ければ毎月でも行きたいです。

 

※小ネタ

たまたま米国在住の日本人の方のブログを読んでいて、「エア アメリカ(AIR AMERICA)」という映画の事が書いてありました。1990年アメリカの航空機映画で若かりしメル・ギブソンとロバート・ダウニー・Jrが出演しています。
内容は、1960年代の戦争当時、ラオスで運営されていた実在の航空会社(エア・アメリカ)が舞台。色々と調べてみると、その会社は複雑な事情があって作られたんですけど、これまた複雑な事情によって閉鎖されてしまい、その後に紆余曲折あって日本資本の航空会社・南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)が誕生した、といういきさつがあるとの事でした。ここ岡山から沖縄に行く便は、日本トランスオーシャン航空。何かの縁かも?
ちょっとした小ネタでした。

ご縁に感謝。

ありがとう!

50-1

同い年で旧知の方から...

「お互い50-1歳なんだから身体に気を付けて」とメールをいただきました。

「年齢なんて気にせずに頑張りましょう!」

と返信するも、ふと...

もう10歳若く起業していたらどうなっていただろう?って最近よく考えることを思い出しました。

 

 

①会社をもっと大きくして成功していたかも

②人間が出来ていないので失敗していたかも

 

 

①も②もあるような...

たらればなのでわかりません。

 

 

でも、自分で確実に言えるのは前職のゼネコンで現場で10年、積算課で8年間、

一生懸命に過ごしたから今があり、

みんなが声をかけてくれるということ。

となると40-2歳で起業したのは正解だったと信じています。

 

今日も前職時代の上司の方からお声掛けをいただき松山まで行って来ます。

 

ご縁に感謝!

家族に感謝!

本日、二回目の投稿!

ここ一カ月で色々なことがありました。

その中で一番に思ったことは、

自身の健康も大切ですが、家族が健康でいてくれるからこそ

自分も心置きなく働いたり、休日のプライベートでの色々な活動が出来るんだということ。

幸いにも我が家は、家族となってから小さな病気やケガはありましたが、

日々を無事に過ごさせてもらっています。

そんな家族に感謝!

 

妻と子供と自分に、

健康でいてくれていありがとう。

健康でいられることにありがとう。

これらからもずっとずっと健康でいられますように。

太陽のまちでサッカーをしてきた件

岡山県は「災害が少ない県」と言われていた通り、今までも災害の影響も少なく今回の災害は「まさか」の一言につきます。私自身は鳥取県生まれでサラリーマン時代に転勤の関係で今回の災害の報道で出ていた真備町の隣町の矢掛町に二年間住んでいたことがあります。当時はまだ子供が小さかったのですが、のどかで街の人も暖かく住みやすいところでした。報道では流れていませんが真備町と同じように浸水被害があったとのことです。被災された方々へのお見舞いを申し上げるとともに早期の復興を祈っております。

話は変わりますが、7月中旬に千葉県は柏市にて開催された商工会議所青年部全国サッカー大会へ出場して参りました。


勿論プレーヤーとして。

翌日は生まれたての子牛のように足がカクカクしていたのは言うまでもありません。


柏市は「太陽のまち」と言われているらしく、空気が体の上に覆いかぶさってくるような暑さの中で頑張ってプレーして来ました。ケガ無く終えたこと何よりです。
写真はJリーグ:柏レイソルのホームスタジアムです。ここでプレーできるのは決勝戦のみ(我々は予選リーグ敗退)でしたので、メインスタンドで開催された懇親会の際に撮影したものです。二日目の試合終了後はレイソルのホームスタジアムのプレスルームで商工会議所主催のJリーグホームタウンサミットで話を聞き、二日間の楽しい思い出を胸に無事に岡山への帰路につきました。

月一更新のブログですが頑張って頻度をあげよう!

今日も無事に一日が終えられたことに感謝。
ありがとう。